ずっと変わらず守ってきた場所
家族で力を合わせたから今がある
久々子地区 美船荘
女将 畠中 香代子さん
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忙しいと思う暇もなかったあの頃
当時の美船荘は大忙し。多い時は100人ものお客さんを迎え、家族はもちろん、従業員を雇い、お舅さんやご主人が送迎をしながら宿仕事を営んでいました。県外の学生さんも雇い、住み込みで働いてもらったそうです。民宿と平行して米農家も続けていたので、田植えや稲刈りなどが旅館が忙しい時期と重なって、香代子さんもトラックに乗り手伝うこともあったとか。香代子さんがお嫁にきたことから人手も増え、営業を継続するために、民宿は夏季営業から年間営業へ変更し、忙しさが増したそうです。香代子さんが嫁いだ時は右も左も分からず、料理も上手くできず。受付、接待、運びの手伝いから始まって、調理師免許を取ったあとも、お姑さんについて宿仕事を教えてもらいました。3人のお舅さんお姑さん達にもまれながら、必死でついていくことしかできなかった。大変だったと今は懐かしさも込めて振り返ります。
当時の苦労が大きな成長へと変わる
仕事は忙しい、人間関係も難しい、嫌なこともたくさんあって分かりあえない事も多かったし。でも、香代子さんは今、当時のお義父さんお義母さん達の年齢に近づき、その時は気づいてあげられなかったこともたくさんあったと思うと。今はただ感謝しかなく、宿経営を通して、一生懸命、真面目に子供を育てる大切さを教えくれたことが本当にありがたいと感じているそうです。ご主人と香代子さんが切り盛りする美船荘は、新鮮な魚を使った女将さんのお料理や、ゆったり過ごせる宿の魅力を味わうために、30年間、変わらず泊まりに来てくれるお客さんもいます。人とのご縁を大切にしながら、ゆっくりのんびり、ここにきて良かったと感じてもらえる宿でありたいと、しみじみと振り返りながら話される姿に、年輪のような..深い味わいを感じました。
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