お客様との出会い

通じ合う「心」と「心」


早瀬地区 民宿 きたむら

女将 北村 恵子さん

01


INTERVIEW

道は自分で切り開く

お隣の町、若狭町常神出身の女将さん。昭和40年当時、常神半島は陸の孤島と呼ばれ、船

での移動が唯一の手段でした。常神から早瀬へお嫁に来た恵子さんを、「船ですすやん(

ご主人の愛称)に釣られてきた」との話しが広まったそうで、「本当は車で来ましたけど

ね」とユニークな嫁入りエピソード。

今から半世紀前、戦後の時代。恵子さんは、せめて高校は卒業したいとの思いから、家計

のことを考え、岐阜県の定時制の高校へ入学し、働きながら勉強に励みました。勉強と仕

事の両立の大変さから、一度は家に戻ったこともあったそうです。そんな時、父から、「

いっぺん決めた事は最後までやらなあかん。ここはお前の帰って来るところではない。」

と叱られ、学校に戻ったそうです。

4年目の卒業間近という時期、寄宿事務所の労務課長より、会社に残ってくれないかとの

話があり、その後4年2ヵ月間、寄宿係として仕事に励みました。「ありがたいことです。

課長とは、岐阜の柿と若狭の魚を交換したり、その後も長く交流していました。」岐阜へ

の進学から得たものは大きかったそうです。

02


INTERVIEW

人と人とに出会いとおもてなし

お客様はリピーターさんが多く、けれど、年齢のせいか^^;...最近は予約の電話でお声を聞いても顔が浮かんでこない「会えばわかるかな」と去年の宿帳をみて記憶をたどります。そして、宿に来られた時には、「去年もちょうど今頃でしたね」などと話すと、その一言がお客様に通じる。お客さまとの関係、「人」と「人」の関係は、こうして生み出されてきたのですね。嫁いだ頃は民宿はバブルで忙しく、ただただ苦しかった。子供の面倒をみることもままならず、周囲の人に育ててもらったようなもの。やらざるを得ないという義務感のみで、楽しいと感じる余裕は全くなかったそうです。

転機が訪れたのは、義母が体調を崩したこともあり、代替わりをしたこと。お母さんの助手的な存在からの変化で、「今ここで店を閉めるわけにはいかない」と責任感が生まれました。料理も少しずつ覚えていき、いかにお客様に美味しいものを食べていただくか、ということに気が向いていったそうです。「自覚がでて、やりがいが生まれました。やりがいがあっての喜び。色んなことがあって、苦しい事があって。今現在が、楽しい。万々歳じゃないですか(笑)。」恵子さんお手製の「えーこのへしこ」と「えーこのお惣菜」も自慢の民宿きたむら。女将人生が恵子さんの人生。年齢を重ねられたこれからも、まだまだ楽しい人生が待っていそうです。

03


INTERVIEW

民宿 きたむら


〒919-1124

福井県三方郡美浜町早瀬11-50

一般社団法人 若狭美浜観光協会

〒919-1122 福井県三方郡美浜町松原35−7

(JR美浜駅内)

TEL:0770-32-0222 FAX:0770-32-1249

URL:https://wakasa-mihama.jp


Copyright © 若狭美浜観光協会. All Rights Reserved.